先日気になったコチラの記事『矢沢永吉が過激ファンに出禁措置 求められる応援者側のあり方』。私設応援団の総会長A氏に対して矢沢さん側がコンサートの出入り禁止とファンクラブ強制脱退を言い渡したとのこと。雑誌でインタビューを受けるほどの総会長A氏とは私設応援団「全国矢沢連盟」の笠井孝二氏だとされています。
経緯はリンク先の記事をご覧いただくとして、結果モテる恋人に近づく人達に嫌な思いをさせて恋人にまで嫌われてしまったような格好ですね。ファンのように装って実はファンでは無かったのでしょう。

僕は矢沢永吉世代でもなければ矢沢ファンでもありませんが、好きな曲はいくつかあり車のHDDにはベストアルバムが入っています。矢沢永吉に限らずどの世界でも自分がファンの中で一番の存在だと思い込んだり、仕切りたがる人達は存在するもの。クルマ好きのミーティングなんかでもそういった類の話を聞いたことがあります。なので僕は趣味に関してだけの友達を作ったりはしないし、集いにもなるべく参加はしません。そういった人達に共通するのは見た目で威嚇する点。見た目を悪ぶるというのは自信の無さの表れだと感じることがあります。
今回の一件で思い出した女性がいます。数年前に仲良くなった3つ年下のロシア人女性V。彼女の好みが悪ぶった見た目の男性だったのです。そして矢沢永吉のチャイナタウンが好きだったのです。僕は決して威圧感のある服装もしませんが身長とガタイから彼女の目にとまったのかもしれません。Vとは彼女が働くロシアンパブへ僕が初めて行った時にお互いに惹かれあった気がします。他の女性の接客を受けている際に視線を感じて目が合ったのがVでした。次に席に着いたのが彼女でしたがとても積極的でした。彼女はよくお店に来た本職の方々の話を楽しそうに話してくれました。矢沢永吉もそっち系の方々がカラオケで歌っているのを聴いて覚えたのかもしれません。
彼女はとてもスレンダーでやはりモデルも兼業していました。声がややハスキーでそこも僕はドキッとしたのを覚えています。ダンスがとても上手な娘でした。閉店後に外国人経営のクラブへ連れていかれてそこでイチャついてそのままという流れ…。
それからVがお店で働く日は僕が迎えに行って食事をして彼女の家に送る。休みの日は映画を観たりドライブへ行ったりと毎日一緒に過ごしました。しかし出会って2ヵ月もしないころでしょうか。彼女はビザの関係でロシアへ帰らなくてはいけないと僕に告げました。一旦帰国すると次はいつ来日できるかもわかりません。たった2ヶ月弱とはいえ毎日一緒に過ごした女性がいなくなるのは悲しいものです。仕事を捨て僕がロシアへ行くなんて勇気もありませんし、彼女と離れるという選択肢しか残されていませんでした。それは同時に別れを意味していました。

出国の前日、彼女の荷物を持って僕達は成田空港近くのヒルトンへ。食事の時もお互いに無理矢理明るく振る舞おうとしましたがなんとなく重い空気に。部屋に戻って最後の記念撮影を済ませると、朝まで眠る事なく彼女とベッドで過ごしました。脳裏に焼き付けるかのように…。
出発時刻の迫った空港で僕達はどんな会話をしたのだろう。覚えているのは強気な彼女が目に涙を浮かべたこと。ガラスの向こうでターミナルの階段を一段一段ゆっくりと僕に手を振りながら下っていく姿。彼女がいなくなってしまう悲しさと、何もしてあげることができない自分の情けなさでギューッと僕の心が締め付けられたこと。
帰国後の彼女とはメールやSkypeで暫くやり取りもしていましたが、些細なことで喧嘩になり連絡することもなくなりました。離れていることでお互いを心配したりすることはストレスでした。やはり距離があるというのは難しいですね。もしかしたら、というかきっと彼女は再度来日しているだろうと思いますが幸せに元気にしていて欲しいなと心から思います。
チャイナタウン この街を行けば
お前との想い出が 風のように頬を打つ
チャイナタウン 空のポケットに
夢ばかり詰め込んで 生きていた二人さ
ポニー・テールは もう 切っただろう
ベイビー 泣きながら
幸せならいいけれど
ベイビー もう一度 お前に会いたい
チャイナタウン 若すぎた恋の
あの香り 甦る ほろ苦い ジャスミン・ティ
あのレコードは もう捨てただろう
ベイビー つらくって
幸せなら いいけれど
ベイビー もう一度 お前に逢いたい
チャイナタウン ヨコハマ・トゥワイライトタイム
流れてる 俺たちの好きだった
“ドック・オブ・ザ・ベイ”
矢沢永吉『 チャイナタウン』